1日 |
津川からもらった台湾ラーメンを食べる。目が覚めて力が出てきた。この勢いで公聴会に突入することにしよう。 公聴会終了。突貫工事のD論にはいろいろと穴も多く、修正すべき点をいろいろと指摘された。 とりあえず学位はもらえるようなので一安心ではある。 藤田先生より藤田チェック書き込み版を頂いたのは本当に有り難い。 雑誌ニュートンがオーロラ特集だった。プラズマ二重層の説明まで書いてあったので思わず購入してしまう。 |
2日 |
来週は旅に出るのだが、公聴会を終えたことによって、頭の中で旅の占める割合が急上昇してきた。
旅計画は考えはじめると止まらない。 床屋にいった。この床屋に行くのはこれが最後になるのだろうか、ならないのだろうか。 |
3日 |
旅行の出発日を7日にしようと思っていたのだが、6日の夜になりそうだ。M2の発表打ち上げに参加してから
出発すると宣言してしまったのだが、途中で抜け出すことになってしまう。ごめんなさい。 時刻表に記されたフェリーの運航日を休航日と勘違いしていたのでした。昔竹内の犯した過ちの発展版だ。 それにしても週に2回しか運航しない航路だったとは。運航日の方が休航日よりも多いはずという間違った 先入観が、目の良いといわれる私の目を狂わせたのでした。 その後、Webから申込んだANAのチケットを受け取りに中央の生協へ。後ろの客が「私まだ飛行機乗った ことないんだよ。ださくない。(現代的イントネーション)」と言っている。思いおこしてみると、私も 初めて飛行機にのったのは27才か28才だった。「気にすることはない。私もあなたくらいの年の頃には まだ乗ったことはなかったのだよ。しかも今でも飛行機は好きではないんだ。」心の中でつぶやく。 その後、いろいろとお買い物。ひとつはCDに焼きつけたMP3ファイルを再生できるもの。どんな製品名なのか よくわからないが、MP3ディスクマンなどと呼ばれているのだろうか。 MP3再生機の中で最も魅力を感じていたのは6Gハードディスクタイプのものだったのだが、これは値段が高い。 しかもHDタイプのものはまだ商品が一種類しかなく選択の余地がない。 まだこれからどうなるか分からない商品であり、ちょっと購買欲は失せつつあった。 それでも店で現物をみたら欲しくなったりするかもしれないと思ったが、寺町には見当たらず。 聞いてみると売り切れとのこと。どんなものなのか一度見てみたかったが残念。 結局ディスクマンタイプのものにした。一番安いものに目をつけ、店員にことわってから実際に持っていったCDを入れてみる。 MP3ファイルの他にテキストファイルも混在したディスクをきちんと読んでくれるのかどうか気になったのでそれを確認する。 無事に全曲検知してくれたようであり、トータル曲数158曲などと表示される。一安心。 WinCDRで焼いたものもxcdroastで焼いたものも両方とも読めたのでさらに安心。 次に気になっていたのはこのタイプの商品がどのくらい振動に強いかだったので、店員が離れた時に非常に激しく振ってみる。 音とびはなかった。これは嬉しいことだ。この一番安いものでも十分だと考えるようになり、その商品についていろいろ 店員に質問しようとするのだが、店員の態度がおかしい。そのかわり店員の口から「すいません。実は取扱い説明書が 英語なので分からなかったのです。」という言葉が、、、。そういうことですか。それなら使い方がわかるくらいに 使っておいて欲しかったのだが、まあしょうがない。結局一番安いものを購入。安物買いの銭失いになるのだろうか。 その後、靴を購入。手持ちの靴がほとんど全滅状態だったのに、これまでほっておいたのでした。 節分なので、太巻き寿司を購入。研究室で数人で食べた。今年の方角は南南東らしいが、毎年同じ方を向いて 食べているような気もする。食べているときは何も話さずに一気に食べるものだと聞いていたので大紀からの 問いかけを完全無視。しかし他の人は会話しながら食べている。私は騙されていたのだろうか。 夜は節分祭。炎のそばに陣取る人々を「これだから素人は、、、」と玄人ぶって分析してみる。とにかく暑いので 長い時間いることの出来る場所ではなく、人はどんどん炎の側から消えていく。 少し待てば容易に炎を間近に見ることができる。 |
4日 |
昨日購入したMP3プレイヤーをいろいろと操作してみる。アルバム単位での再生などわかりにくく 慣れるまで少し時間がかかりそう。150曲の中から聞きたい1曲を再生するのはかなり難しいこと もわかった。使用法として、150曲ランダム再生を意識して購入しているのでこのあたりは問題ない のだけれども、人によっては操作性が悪いと感じるだろう。 |
5日 |
M2修論発表初日。津川は大変良い感じで発表をおえることが出来た。受けた質問も想定されたものであり、講座の
トップバッターの重責を果たした。 そして明日は出発日。その前にやり残したことがないかどうかもう一度確認しなければならない。 北海道にいる間に、何かウインタースポーツを一つは見てきたいと思っているのだが、思いのほか 調べるのは面倒くさい。現地に到着してから調べる方がはやそう。 |
6日 |
旅行準備であたふたしている。修士の発表が終了後、即飲み会。旅行荷物を
慌ててまとめて参加する。 敦賀駅から港までのバスの時間に間に合いたいので、雷鳥を使う。トータルでは 普通列車+タクシーよりもやすいはず。駅に到着すると目的の雷鳥の発車時間 の12分前。危なかったがなんとかなりそうだと思い、学割に記入しているうちに 誰も並んでいなかった列に3人ほど並んでいる。さらに今カウンターにいる客が 時間のかかる客のようで、3分待っても全く列の動く気配がない。危機感を感じたので みどりの窓口を変更。なんとか電車と同時にホームに滑り込むことができた。 敦賀駅からバスで港に到着。生協でもらったクーポン券に、名前が書いてあるので そのままカウンターに差し出すと、指定の用紙に記入してきてくれと言われて、列の 最後尾にまたまわることになる。このあたりこの旅の行列運のなさを暗示している ようでいやな予感だ。まあ、単にフェリー経験の浅さが招いたミスですが。 ちなみに受付のおねえさんは大変きれいな方でした。 フェリーの2等席の入りはおよそ半分くらい。人は少ない。 |
7日 |
ほぼ一日中フェリーの中。フェリーは広くていい。適当に場所換えをしていれば 飽きない。夜きちんと眠れるように、昼間眠りすぎないことのみ気を付けて乗った。 航路のほとんどが携帯電話のエリア外であったが、奥尻島をすぎたあたりから エリア内になった。その事実に気がついた人と、初めから知っている人が携帯電話 をさわり出す。積丹半島をまわりこむあたりで、雪が降ってきて視界が悪くなった。 小樽の港から駅まで歩いていきたい私には嫌な予感がしたが、小樽港到着時には 無風。ツキが巡ってきたような気がする。 夜、札幌の田中邸に到着。やはり泊まってよかった。 泊まらずに夜行で網走に向かうのにはちょっと無理があったかもしれない。 明日は、富良野で宿があるかどうかを探して、その結果によって予定を変えることになる。 |
8日 |
朝、麓郷のふらりんユースに電話をしてこの日の宿を予約。富良野スキー場とは駅の
反対側なのであっさりとれた。田中家に荷物本体をおいて三泊分の荷物を
リュックに詰め込んでいく。ところがここでトラブル発生。ファースナーを
破壊してしまう。田中家のリュックを借りていくことにする。それにしても
出発後の破壊でなくてよかった。 昼前に田中家を出発。宿を押さえたことによって 初めてこの旅の絵を描くことができるようになった。札幌駅でJRチケットを 購入。学割に札幌−滝川−芦別−富良野−旭川−網走−釧路−札幌と経路を記して 申し込む。学割で9820円となった。さらに旭川−網走の指定席特急券と釧路−札幌 の指定席特急券を購入。総額で16000円弱。道東フリー切符よりも少し安い。 カウンターはまたしてもきれいな人だった。 乗車券発券後こちらに確認を求めてきたが、経由路線を次々読み上げられたところで こちらは分からない。こちらは路線名ではなく、経由地でしか把握していない。 まあ、間違えていることはないだろうと信じる。 午後2時30分に富良野駅に到着。これで富良野は5回目。2月終わり、3月終わり、 8月終わり、10月半ばに来たことがあるが、今回がもっとも気温は低いはず。 油断してはいけない。 富良野駅は観光客だらけということは全くなく、あきらかに地元の人々が多い。 スキー客はJRは使わないのだろう。 麓郷行きの最後のバスが午後6時20分なので、 それまで富良野市街地をぶらつくことにする。 北の国からファンでありながらまだ一度も三日月食堂にいったことがなかったので、 行ってみることにする。 そして当然のごとくラーメンを食べる。美味しかった。 その後喫茶店北時計を目指して歩いていくことにする。 この北時計はスキー場の方に向かって駅から歩いて20分くらいのところにあるのだが、 北の国からのインフォメーションセンターになっていることでファンには名が知られている。 前回来たのは10月だったが、かなり人は多かった。本棚には北の国からの脚本や撮影風景の アルバムが置いてあり、客が多いと順番待ちになるのだが、今回の客は私一人。 やはりスキー客はここにはこない。ブレンドコーヒー一つを注文して、ひたすら資料に 目を通すことにする。 途中で二人客が入ってきたので、涙が流れないように気を付ける。 98時代に関する資料が増えていなかったのは残念だったが それでも読むものはいくらでもあった。 帰りに北の国からガイドブック2000年版を購入。 これまでのものは95秘密の放送終了後に出版されたものなので、 98時代に関する記述のない古いものになってしまっている。 逆にいえば2000年版になったからといって何も大きく変わって いないのだが、それでも買ってしまった。 私の本棚に全く同じように見える本が2冊並ぶことになるが、 決して全く同じ本というわけではない。 麓郷行きの最終バスを待つ間、冷え込みが急にきつくなってきたように感じた。 昼間はまったく寒さを感じなかったのだが、日が沈んでからが本当の北海道の寒さ なのだと感じた。マフラーと手袋を装着。バスの車中から見た温度計はマイナス14度 を表示していた。まだもう少し寒くなるのだろう。 富良野駅発麓郷行きの最終バスにのってユースホステルをめざす。ユースの人が麓郷のバス停まで迎えにきてくれた。 ふらりんユースに着いてすぐに夕食。ペアレントとヘルパーの方々も含めて10人ほどの食事だった。 客は4人。ただし私以外の3人は工事関係者だそうだ。道路を広げる人と橋を架ける人らしい。 旅行客は私1人。というわけで1室丸ごと利用出来、非常に贅沢。 ふらりんユースは宿泊客に毎日寄せ書きをかいてもらっている。 この日の客は私だけであるから一人でA3程度の爛を埋めなくてはいけない。 夏などは20人ほど宿泊しているから、1人1文か2文程度なのであるが、私は1人でA3サイズ一枚。 結構大きなプレッシャーだ。中央にはポラロイド写真が貼られる。 ヘルパーの兄妹2人を含めて3人で撮影。 ヘルパーの2人は慣れたものでいい笑顔だ。 私は不自然なことこのうえない。その後珈琲などを飲みながらヘルパーの兄妹とお話。 話しながら寄せ書きページも書かなくてはいけない。 写真より下側の半分は今回の旅の道筋を北海道の地図の上に書くことによって埋めた。 私がこれから道東をまわって札幌の友人の家に戻る予定を話すと、ヘルパーの兄妹もつい最近、 家族で道東をまわってきたとのこと。写真を見せてもらった。 兄が鉄道好きなせいもあるのだろうが、網走釧路間を流氷見物用のノロッコ号と湿原を走るSLで移動したらしい。 なかなかよさそうだ。 私もこのプランにしようかと思ったが、このプランでは釧路につくのが早すぎる。 午後3時に釧路についてから夜行特急の発車時間まで時間を潰さなくてはいけなくなってしまう。 そのことを告げると、兄さんの方から、夜行ではなく夕方発の特急で札幌の友人宅に向かってはどうかと提案される。 ごもっともな意見だ。夜行で早朝札幌に着いても何時に田中家に連絡してよいものか迷ってしまう。 それなら多少遅くとも夜に田中家についた方がお互いよいかもしれない。 いいアドバイスをもらったものだ。 やはりこういうことは自分であれこれ考えるよりも詳しい人に聞くのが一番早い。 いろいろ話しをしたが、寄せ書きページの上半分がいっこうに埋まらない。 どうしようかと困っていると、ペアレントからオーロラの話を書いてくれないかと依頼される。 それはいいかもしれない。これまでの会話の中でも、北海道でオーロラが見えるのはどういう場合かとか、 寒い年が良く見えるのかなどといった疑問にいろいろと答えていた。 上半分には太陽と地球と磁力線の汚い絵をかいて、説明文を少し加えた。そこに電子加速領域の部分を 軽く塗って自分の研究領域も簡単にアピール。もう少し絵心というものがあればなあ。 ともかくこれで寄せ書きページを埋めることが出来た。よかったよかった。 私は見ることが出来ないが、その後ヘルパーの2人のコメントも書き加えられて、ふらりんユースの2月8日のページが 完成となるはずだ。気がつくと夜遅くなっていたので慌てて眠りにつく。 |
9日 |
朝7時30分朝食。私1人とユースの人々という組み合わせ。ペアレント一家の朝食に私が潜り込んでいるような感じだ。
ふらりんユースのペアレント一家は子供が5人。昨日の夕食時にも随分いるなと感じていたのだが、それは全員ではなかった
ようだ。そういえば昨晩は姉と妹でどんなキティちゃんグッズを持っているかで激しくやりあっていた。
北海道限定◯◯ラベンダーキティちゃんなどのグッズもあるらしい。ペアレントの方は東京板橋の出身で、
かなり私の実家からは近い。少し東京ローカルな話しもする。
ペアレントの方は東京時代にサッカー観戦によくいっていたとのこと。さすが西が丘サッカー場のお膝元の人だと感じた。
この冬は富良野高校ラグビー部が花園に出場しており、かなり盛り上がったという話をきいた(私も勝手に注目していたが)。
少年漫画の世界では富良野というとサッカーの町になっているのだが、現実はラグビーの町です。 朝食をたいらげて麓郷巡りのプランを練る。ペアレントの方に除雪されている範囲を教えてもらうが、 やはり除雪されている範囲は限られている。行きたいところにはいけそうもない。スノシュー(皆こう略して呼ぶ)を 借りることにした。基本的にはこれでどこへでも行ける。 さらにリュックを借りて、小さな保温水筒とお茶をもらった。スノシューのみ有料。散策マップももらって出発。 何かトラブルがあったら携帯でユースの方に連絡するように言われたが、J-PHONEは麓郷周辺は全くカバーしていない。 ドコモは使えるらしい。 除雪された道をスノシュー履いてストックついて歩くのはかなり間抜けな姿であるが、とにかく私以外に誰も歩いていないので、 全く見られることはない。まずは「麓郷の森」をめざす。ユースホステルの場所は麓郷のバス停からは離れているのだが、 おかげで「麓郷の森」は近い。まだスノシューに慣れないうちに到着した。いわゆる「北の国から」観光の拠点であり、 バスの駐車場などもあるところだが、他に人は誰もいない。天気は抜群によく、なんともいえない良い気持ちだ。 麓郷にきたのは4回目だが、そのうち2回は昼過ぎのバスで来て夕方のバスで帰るといったようなものであり、滞在時間は 非常に短かかった。8月に来たときには富良野駅付近で自転車を借りていたので、朝から夕方まで目一杯漕ぎつづけて、 広い範囲をまわっていた。今日のように麓郷のあたりをじっくり歩く時間があるのは初めてのこと。 とりあえず麓郷の森は見たものの、時間はまだまだある。メインストリートから外れたところにある 「メルヘンの木」と呼ばれる2本の木を見に行くことにする。丘の上に2本だけ立っている木で、写真撮影の ポイントとしてあまりにも有名な場所なのだが、これまで行ったことがなかった。除雪ゾーンを超えて、 ただ雪が降ったままになっている雪原に乗り込む。ストックがあることもここにきて非常に有り難く感じる。 雪原にはきつねの足跡などが点々続いていたりするのだが、本物を見ることは出来ない。 目標とするメルヘンの木が遠くに見えてきた。道などないのでただ目標に向かって真っ直ぐ歩いていけばよいだけだ。 目標に到着。到着してみて思い知るのだが、明らかに遠くから見ていたほうが絵になる木だ。 もう少し高いところに登って上から見下ろしてみようと考える。樹海(東大演習林か?)との境界まで登ってみて見下ろす。 いい眺めだ。ここで昼食のカロリーメイトとユースで頂いた紅茶を口にする。 紅茶は甘かったが歩き回ったあとなのでこのくらいの方がいいのだろう。 次の目標にジャム園の上にある展望台を選ぶ。せっかく高いところに登ったので、このままの高度をキープして 辿り着きたいと考える。展望台のあると思う方向に向けて歩き出すが、 高度を保ったまま歩こうとすると樹海に潜り込んでしまうことになる。 携帯電話が役に立たないことを考えると、迷ったりするのは絶対に避けなくてはならない。 少しずつ降りながら歩くことになってしまった。途中で振り返ると、自分の歩いた足跡がかなり蛇行していることに気がついた。 本人は真っ直ぐ歩いているつもりだったのだが。 ジャム園の上の展望台に行く途中に谷間があることが分かったので、 とりあえず麓郷のメインストリートまで降りることにする。 展望台を後回しにして、北の国からの五郎の石の家のロケ地に向かうことにする。ここも夏は観光スポットであるが、 この時期に訪れる観光客はいない。ここはメルヘンの木周辺よりもさらに雪が深く(やわらかく)、 スノシューを履いていてもかなり深くまで足がめり込んでしまうくらいだった。 石の家は次回作でも使うので、近付かないようにという注意書きがあり、簡単な柵がある。 是非ともその通り次回作を撮ってもらいたい。 石の家を後にしてジャム園とその上の展望台を目指すことにする。 このあたりの観光スポットでは珍しいことだが、ジャム園は冬でも営業している。 これまでの道中、全く人に出会わなかったが、ここには車で訪れる人が少しいた。 ジャム園にはあんぱんマンのやなせたかしのギャラリーがあって、家族向けの施設になっている。 おそらくこのやなせたかしのギャラリーとあんぱんマングッズの店は最近出来たものだろう。 昔(7年前くらいか?)はなかったと記憶している。 トイレを借りようと思い、店員に声をかけたのだが、この店員の顔が絶妙。 この店で働く人オーディションで選ばれたのではないかと思うくらいだ。 店と一体化している顔だ。 この人の写真を撮っておけばよかったとつくづく後悔する。 展望台を目指して登っていく。林の中の道を登っていった先に、まるで目標であるかのように一本の木が立っている。 これがまた素晴らしい。登ってみた展望台から、この日の自分の歩いたところを振り返ってみる。 遠くにメルヘンの木も見える。午後3時半までにユースに戻れば、ユースの富良野駅への送迎バスに間に合う。 夕方のバスにしてもいいのだが、せっかくだから送ってもらおうと思い、ユースへ向かう。 ユースに帰ってから慌てて荷物をまとめる。一泊とはいえ、かなりお世話になった。 客が私1人だったというのも私にとってはよかった。 富良野駅に送ってもらって、この旅行の麓郷編は終わった。 富良野駅につくと携帯電話がたてつづけに振動する。 丸一日携帯電話の圏外(J-PHONEのみ)にいたので、メール転送がたまっていたのだった。 私もメールを打つ。 メールをくれる人の大部分が、私が京都にいることを前提としたメールだったので、 まず旅行中であることなどを説明したりする。このあたりのやりとりははっきりいって電話でやればすぐなのだが、 メールにしてしまう。旅行中とはいえ、出費を押さえようとする貧乏な発想。 貧乏ついでに夕食(午後5時くらい)は富良野のマクドナルド。 旭川に行く電車の時間をどうしようか考える。 旭川を0時半に出る夜行の網走行きにのるので、旭川までの移動時間を考えても、富良野か旭川で時間を潰さなくてはならない。 気持ち的には富良野に長くいたいが、暗くなると富良野は時間を潰せる場所がなくなってしまうので、 19:05発旭川行きを選択した。20:38発の旭川行き最終列車というのも「北の国から'92」で登場したものでひかれるのだが、、、 旭川に到着すると駅のあちこちに雪まつりのポスターが貼ってある。札幌と同じ時期に旭川でも開催しているのだ。 全く予定に入っていなかったものだったが、これは見に行くしかない。 ライトアップとかして結構遅くまでやっているのではないかと期待できる。 旭川は町の大きさとしてはたいしたことなく(札幌と比べればですが)、 雪まつり会場も駅から歩いて10分程度のところにかたまっているようだ(札幌は3会場に分散している)。 早速会場に向かおうと考えるが、その前にやっておくことがあった。それはユースのヘルパーにすすめられた 流氷ノロッコ号とSL湿原号の座席を押さえておくことである。 雪まつりより先にみどりの窓口に向かう。ノロッコ号はとれなかったが、SLは押さえることが出来た。 ノロッコ号は自由席ありで、SLの方は全席指定であるから、これで別に問題はない。 釧路に早く到着することが確定したので、田中家に10日の夜の宿泊をお願いする。 8日に田中家を出るときに、11日の朝に帰って来ると宣言していたのだが、予定変更。 本当にごめんなさい。 旭川の雪まつり会場に到着すると、もう9時を過ぎていた。10時までらしいのでちょっと時間がないかと 思ったが、会場はそれほど大きくはない。作品ひとつひとつをゆっくりみる時間はないが、 ひととおり歩き回るには十分な時間であった。 雪像よりも氷像が中心であり、雪像は美しさよりも、すべり台などを備えて子供が遊べるようにすることが 要求されているようだ。氷像はライトアップされてかなり綺麗。 3つのゾーンに分かれた会場を足早にまわって丁度10時くらいになった。 駅までの帰り道、人が少ない。雪まつりに向かうときにはかなり人が多かったのだが、 帰りは本当に寂しかった。往路に発見したミスドで時間を潰すか、ラーメンを食べるか かなり迷ったが、夕飯が早くてお腹が減っていたのでラーメンにする。 店の灯に引き寄せられるように入ったラーメン屋は、ラーメン430円で量もある。 野菜入りにしても500円。ビールが飲みたくなったので飲む。じつにうまい。 さんざん歩き回ったくせにまだ飲んでいなかったのだった。 麓郷では雪原で飲んで倒れたりしたら洒落にならないので、ビールを我慢していた。 ラーメン屋で20枚でラーメン一杯サービスの券をもらう。 駅の待合い室や、コンビニで時間を潰して電車を待つ。 駅に一組の母子がいた。子供の方は高校生くらいに見える。 繊細そうな母親が「ひとり旅はおもしろいけど、気をつけるのよ。」と息子に言葉をかける。 その息子が電車では通路を挟んで私の横にいた。あっというまに眠りについてイビキをかき、 私の睡眠を著しく妨害してくれた。油断出来ない奴だ。母親から受けた印象に騙されたような気がする。 |
10日 |
朝6時15分網走着。ここからどうするかの選択肢は二つ。ノロッコ号の出発時間まで網走駅周辺の
海岸沿いを見てみるか、北浜駅に行って、その周辺を歩いてみるかのどちらか。
網走駅周辺の地理に明るいわけでもないので、間違い無く海岸に近い北浜駅に行くことにする。
6時42分網走発の列車に乗って北浜駅を目指す。網走駅からは10キロほどの場所にある駅で、
オホーツク海に最も近い駅として知られている。
北浜駅にむかう電車の中で聞いた会話によると、ここ数日の南風で流氷がかなり撤退してしまったらしい。
いやな予感がする。網走の隣の桂台駅を過ぎたころから線路はオホーツク海沿いになる。
窓の外に明らかに流氷が見える。かなりほっとした。南風で少なくなったとはいっても、おそらくそれは
飛行機に乗って上から見なければ分からないようなものなのだろう。
2回生のころ、2月の終わりに網走に来たことがあったが、そのときは全く見ることが出来なかった。
しかたなく流氷博物館に行った記憶がある。 北浜駅で数人降りたが、全員観光客だった。会話を聞く限り、私以外の人は北浜駅周辺で時間を潰して、 次の網走行きの電車で戻るようだ。 網走駅と北浜駅の距離を考え、ノロッコ号が網走駅を出る時間までに歩いて網走駅にいくことにする。 オホーツク海沿いに網走に歩いて帰ろうとすれば、その途中で流氷をゆっくりみることができるはずだ。 北浜駅周辺は道路よりも線路の方が海に近いのだが、鱒浦駅周辺は道路の方が線路よりも海に近くなっている ことを電車から確認している。そのあたりにいけばかなり流氷に近付くことができるはず。 網走駅に向かう道は広い道であり、車の往来はそこそこあるもののやはり歩いている人はいない。 かなり北海道の温度にも慣れてきたはずだが、風のせいもあり、この海沿いの道は結構寒い。 北海道に入ってから、内地に比べてセーター一枚余計に着ているのだが、 ここではマフラー・手袋・帽子の全てを装着した。 私はまぶしさというものが嫌いなので、昼は曇り(もしくは雪)で夜は晴れる天気が一番いいと京都では思っていたが、 北海道に来てから感じるのは太陽の光の暖かさだ。 プラス5度なら、日光がなくともかまわないが、マイナス15度になると日光はあった方がいい。 顔が固くなってきたように感じたり耳が痛くなってきても、太陽が昇れば大丈夫だ。 太陽が高くなるにつれて顔のかたさがとれていくのを感じた。 藻琴駅を過ぎたあたりで陸橋があり、道路が線路よりも海側になる。 このあたりから歩くスピードが格段におちた。 とういのもちょこちょこ海の方にいっては写真をとってゆっくりしてしまうからだ。 藻琴の海岸にはあちこちに流氷の上を歩かないように注意する看板がある。 基本的に素面では怖がりの私が一人旅で流氷の上などを歩いたりするわけがないが、 確かに歩きたくなる人はいるだろうなと思う。そしてはまって落ちてしまう人もいるのだろう。 ノロッコ号が網走を出発するまでに網走駅に歩いて戻ることが無理になったので、 藻琴の次の鱒浦まで歩いて、そこから電車で網走に戻るプランに変更した。 その方が海岸でゆっくりすることができる。 鱒浦駅に到着してコートのポケットに入れておいたペットボトルを取り出すが、半分凍っていてほとんど飲めなかった。 お茶でよかった。炭酸飲料(ビール)の缶だったらちょっとした惨事になっていたかもしれない。 鱒浦駅9時8分の網走行きにのって網走にもどった。 ノロッコ号の自由席の席取りが一人だと難しそうなことを考えて、 その一本前の電車にのって標茶まで行くことにする。 ノロッコ号から見たところで、さきほどまで自分が歩いてきたときほど海の近くにいけるわけではないだろう。 流氷観光用の電車ではないとはいえ、乗客の多くは観光客だ。海側の座席をとるための争いはある。 海側のボックス席はやはりグループにとられてしまう。結局海側ロングシートに座ったので、 体を捻って海を見ることになってしまった。でも歩いて一度見てきたので別に悔しくはない。 北浜駅を過ぎた辺りから睡魔がおそってきた。 オホーツク海がまだ近い知床斜里駅までは我慢したものの、眠りについてしまった。昨晩のイビキにやられたのがいたい。 目が醒めたときは川湯温泉付近だった。安心した。うっかり標茶を越えてしまったらSL計画が消えてしまうところだ。 標茶駅に到着。予想以上にSL目当ての乗客は多い。標茶駅がSLの駅として売り出そうとしている必死さが伝わっているのだろうか。 SL自体は日本に数カ所あるけれども、流氷とセットにできるのがここの圧倒的な強みなのだろう。 駅の外ではうどん・そばなどの麺類やビーフシチューなどの屋台があり、かなり売れている。 釧路からのSLが到着すると、カメラを持った人がいっせいに動き出す。ここで列車を釧路行きに向きをかえることになる。 どこにターンテーブルがあるのだろうかと思って見ていたが、実は標茶にはない。SLの向きは変えずに単に連結を外して 反対側の客車に連結し直すだけだった。つまりSLは後ろ向きで釧路まで客車を引っ張っていくのだ。 やはり疑問に思う人はいるらしく、駅員に聞いたりしている。その話をきくかぎりでは、小さなSLは逆向きでも運転出来る ようになっているとのこと。大きいのは無理らしい。 自分の座席を探すと、なんと最後方の客車の最後尾の席の窓側だった。しかも車内にあいている席など一つも無い。 どうやら滑り込みで座席を押さえていたような気がする。私の前には50代くらいの夫婦が座った。話している 言葉は日本語ではない。中国か台湾の人だ(注 その後新聞で韓国・台湾で北海道観光がブームになっていることを 知りました。おそらく台湾の方でしょう)。車内には石炭ストーブがあって、その上に網がある。そこで焼いてたべる ものを車内販売したりしている。 冬なのでもちろん窓がしまっている。個人的にはトンネルに入る前の窓閉めを促す車内放送を聞いてみたかったりするのだが さすがにそれは無理。発車してほどなくSL乗車証明が車掌から配られる。わたしの横の40代に見えるおばさんがいきなり 私にその乗車証明を譲ってくれた。単に釧路に用事がある地元の人で、時間の都合でこのSLに乗ることもちょくちょくある らしい。確かに釧路にいく電車は一日10本あるかないかなのだから、次の電車(ディーゼルだから電車ではないとかいう ややこしい話はなし)を待たずにこのSLに乗ることになる地元の方はかなりいるのだろう。 指定料金800円を払うか、1時間ほど待つかの選択肢でどちらを選ぶかということになる。 SLからは釧路湿原の動物を見ることができる。鹿はあちこちにいた。昨日麓郷をあれだけ歩いてみることの出来なかった ものが、こんな線路のそばにいるというのは不思議な気がする。タンチョウも見えるらしいが、この日は見ることが出来なかった。 タンチョウを撮影しようとするカメラマンは湿原に沢山いた。 釧路駅に到着したので、ここの市場から研究室に土産をおくることにする。受け取って少しは驚くものを送るのなら、 やはり蟹かなと思う。実際、蟹をあつかっている店はやたら多い。何が違うのかもう全く分からないが、店によっては ボイルするのではなく蒸していたりするらしい。ボイルの方が少し安い。全員に足一本くらいはまわることを願って選んだ。 前回来たときより安かったのは、時期がいいからか(前回は10月)、市場が連休前だからか、身のつまっていないものを 選んでしまったのか定かではないが、まあこんなもんでいいだろう。MPEWG後に着くように指定した。 田中家にも何かお土産をと思って探すがなかなかこれはというものがない。結局、料理に神経をつかうことのない甘えびにした。 札幌行きの最後の特急(夜行でない)に乗って夜遅く田中家に到着。電車はやたらすいていた。 田中の奥さんに食事をすすめられる。食べてきたからといってお断りしようとすると、 「どうせカロリーメイトとかでしょ。だめよそんなの。」と商品名までズバリあてられてしまう。 野菜たっぷりの美味しいうどんをいただきました。 |
11日 |
大倉山と雪祭大通公園会場巡り。 |
12日 |
雪祭、真駒内会場とすすきの会場を見る。 |
13日 |
小樽を見て、夜に飛行機で東京に行く。実家に到着。やはり飛行機は好きにはなれない。 |
14日 |
東京の実家で一日過ごす。予想よりも居心地はよかった。D論提出という最低限の目標をクリアしていたためだろうか。 随分とやさしくいたわりある言葉をかけてもらった気がする。 |
15日 |
京都に帰ってきた。このページを書く作業が随分たまってしまっている。果たして書くことが出来るだろうか。
とりあえず写真だけでも載せていくことにする。 とにかく北海道にいたときから「北の国から」を見たくて仕方がない。明日久しぶりに見てみよう。 |
16日 |
目が覚めてすぐに「北の国から'87」を見る。かなり久しぶりのことだ。大学入学以来、こんなに間があいたことは無かった。
何度見てもいい。 富良野で撮影してきた写真をWebに載せる。 さらにこのページの8日(富良野編初日)の分を書く。 結構時間を食ってしまった。いったいいつになったら全て終わるのだろうか。 |
17日 |
目が覚めてすぐに「北の国から'89」を見る。やはりこれが一番かな。歯止めが効かなくなるのでこれ以上は見ないことにする。 ボクシングタイトルマッチ、畑山隆則vsリック吉村をテレビ観戦。リック吉村の試合初めて見ました。 踊るような足どりと体の入れ替え方と変幻自在の軌道の左パンチが印象的。 |
18日 |
受け取ったメールに「便りにしてます」という文字が。「頼りにしてます」の変換ミスであると信じたい。
「べんりにしてます」ではやや悲しい。 その後確認したところ「頼り」の変換ミスであることが判明。 |
19日 |
吉田神社節分祭の抽選券の当選発表の掲載されている2月8日の京都新聞を旅行中に見逃していたため、 吉田神社までいって確認してきた。3枚とも外れ。 |
20日 |
工学部の笠原さんとEXOS-D波形データに関する話をする。研究としてすすめていけるかどうかはまだ不明。 |
21日 |
このページの9日(富良野編後半)の分を書く。まだ旅行全行程の半分も書いていない。
このページの2月分完成しないのではないだろうか。 旅行から帰ってきて一週間が過ぎた。体の調子はかなりいい。まだ満足感が体にずっしり残っている。 いい給水地点だった。これでまたしばらく走っていけそうな気もする。気がするだけで終わりにならないようにしたいもの。 |
22日 |
火星ゼミに参加。この手のゼミへの参加はかなり久しぶり。その後なぜか焼き肉と生ビールの夕食になる。 その後大石酒造の焼酎を飲む。かなり美味しかった。 |
23日 |
9時縛りからはずれてしばらくたち、勝手気ままに寝起きしている。朝帰って昼過ぎに起きる生活になってしまった。
年度末に向けて昼間やらなくてはいけないことが多いので、これはよくない傾向だ。
来週の月曜日の起床時間でなんとか調整しよう。 辻田のルネバイト。今日が最後らしい。この研究室のルネバイトの系譜もついにとだえてしまうのか。 |
24日 |
網走で撮影してきた写真に簡単な説明を加える。 Xリーグ(社会人アメリカンフットボールリーグ)にプロ経験者でない外国人を登録出来るようになった(プロ契約は不可)。 外国人第一号がいつ誕生するか楽しみです。大学まで米にいて日本で職をもった米国人が、日本のクラブチームに入ってプレーしたく なったりするのでしょうか。 さらに日本人のプロスポーツ経験者もプレー出来るようにしたらしい(これもプロ契約ではない)。 NFLEやXFLでプレーした選手もXリーグでプレーできるようにし、さらに若乃花も登録できるようになった。 あまりいいニュースのなかった日本アメフト界ですが、久しぶりに楽しいニュースです。 |
25日 |
西部食堂バイトの時にお世話になった家に臨時家庭教師。かなり久しぶりの家庭教師バイト。 ここ一週間、知り合いのパソコントラブルがあったりして、 助っ人活動が多く、時間を結構とられた。でも、人の家を訪ねて感謝されて帰ってくるというのは、嫌な気はしないですね。 |
26日 |
細川が帰国報告発表。細川の旅日記を読んでこちらも勝手にどんなプロットが出てくるのか想像していたが、
現実はよりスマートなものだった。 旭川雪まつりの写真を載せる。 夜は細川帰国記念飲み会。彩鶏・ちゃばなと繋いで、ビール・焼酎・日本酒・ワインと飲みつづけた。 |
27日 |
ちゃばなから学校に戻り、竹内がMPEWG準備中の三研で二穴と飲む。結構飲んだ気がする。 MPEWGにやや遅れてしまい、いつもの座席がとれなかった。 その結果、暖房の風が直接体にあたることになってしまい、相当つらかった。 MPEWG中もただひたすら早く終わることを願っていた。遅刻のペナルティをしっかり受けた気がする。 |
28日 |
下の事務になんらかの用事があって行ってみると、小松さんから一枚の紙を渡される。
それは4月からの研修員のための強化合宿の案内のようなものだった。「こんなのあるんですか」
と聞く私に、小松さんが「今年からなんですよ。研修員の方にもっと危機感を持ってもらおうということになってね」
などと言う。紙切れ一枚持って階段を昇る。「研修員ってこんなんやったん」と思いながら二研のドアを開けると
寺田がいた。寺田にその紙を見せると「マジですか!!」と叫ぶ。そこで目がさめた。嫌な夢。 2月が終わる。盛り沢山で一瞬のうちに終わった2月だった。 |