ドライ&ウェット

(2002/11/25) 執筆

「アメリカはドライ、日本はウェット」
と、最近思う。これは、別に気候のことを言ってるわけじゃない。
(カリフォルニアに関して言えば、それもそうかもしれんが・・・)
少し例を挙げて説明しよう。


例えば「サイン」。
アメリカではペンでサラサラとシグネチャ(Signature)・・・ああ、ドライだ。
日本では印鑑でベタベタとハンコ。
実印?認印?・・・ああ、仰々しい・・・大げさだ・・・・ウェットだ。


それから「文字」。
漢字(Chinese Character)というのは、それぞれ意味を持っている。
例えば、「竹」という漢字には、「たけ」「ちく」という読み方があるのに加え、
それ独立で「植物の竹」という意味も持っている。
一方のアルファベットであるが、A・B・C といった一つ一つに
意味があるわけではない。あるのは「発音」だけである。
これらの羅列、例えば"bamboo"でようやく「竹」という意味の単語になるのである。
(その意味で、平仮名も同じ。カタカナもそう。但し、カタカナは外来語に使われる。)
これらは文字というより発音記号である。
つまり、アルファベットはドライ、そして、漢字はウェットである。


さて、ここで俺は「ウェット」より「ドライ」が良いと
言っているわけではない。むしろ、その逆である。


アルファベットの記号特有のドライな感じがカッコイイというのもわかる。
しかし、それはウェットな日本の中にいるからである。
アルファベットばかりに囲まれていると、むしろ漢字の方が格好よく見える。
外人たちが漢字Tシャツを着ているのもよくわかる。だって、カッコイイもん。
漢字はただの「文字」以上のもの、つまり「アート的な要素」を持ってると思う。
だからこそ「書道」(柔道、剣道、茶道、華道などと同列。
「心」あるいは「精神」に重きを置く、いわゆる「道(みち)」系の一つ。)
なるものがこの世に存在するのだろう。


              もう一度いう。


          漢字はカッコイイ


そして、極めつけは「家紋」。
こんなもの、ここには絶対ネーよ。
私の「竹内家」の家紋は「九枚笹(くまいざさ)」というものである。

              
               丸に九枚笹

父方の実家の柱にはデカデカとこの紋章が刻まれている。
苗字に「竹」が入っているから、先祖代々「笹竹紋」を使っているのである。
ちなみに、秀吉の軍師・竹中半兵衛で有名な「竹中家」も同じ家紋である。
何にせよ、家紋なんてものはあっても無くてもいいものかもしれない。
特に今の時代は。ああ、なんと大げさなことよ、なんと不必要なことよ・・・
しかしこの家紋、漢字と同じく、とても芸術的だと思うのは俺だけか?
家紋はドライじゃない。間違いなくウェットだ。そして、カッコイイ。


でも、やっぱアメリカじゃ無理だろ。アルファベットに意味が無いのと同じで
アメリカ人の名前自体にも意味がないだろうから作るのは難しかろう。
まあ、無理に考え出しても、こいつらはバカだから、どうせ

          

          とか
         
になるに違いない。


こんなことを書くのは、最近「ウェット」に飢えている証拠かもしれない。
このドライな国には、日本固有の「わび」や「さび」、ましてや
「浪花節」などというものは微塵も存在しないのである。


END